93






 腹が減っているのに食欲がない。心も、身体も疲れ果てているはずなのに睡眠欲がない。性欲は

考えもしなかったが、特に何も変化はないのだから、欲求不満というわけではなさそうだ。


 琴乃宮涼音(女子4番) はそこまで考えて、今の自分が欲求不満の塊である事に気付き、思わず

笑みを浮かべてしまった。その欲求が仮に性欲であったとしたら、どれだけマシな事か。

 空腹と睡眠不足による疲れが、涼音の苛立ちを加速させていた。食料が尽きたわけでもなく、

全く寝れていないというわけでもない。ただ、政府支給の食料を食べようとしても一口目で吐き気が

出てしまうし、眠りについても十分か二十分ほどで目を覚ましてしまう。




 苛立ちの原因がそれらではなく、別のところに理由があるというのは、涼音自身が一番良く理解

していた。根本的な原因を解決しない限り、そちらの方も治らないかもしれない。




 涼音は、右手で掴んでいた猫に視線を落とした。つい先程、その辺の茂みで見つけた野良猫だ。

野良猫にしては警戒心が薄く、支給された食料をちらつかせたら、近くまで寄ってきた。もしかした

ら、スタート地点となったホテルの残飯などを漁っていて、人間に慣れているのかもしれなかった。


 親指と中指で首を捕まえながら、人差し指で顎を固定する。白地に茶色の斑点模様の薄汚れた

猫だ。四肢を滅茶苦茶にして暴れているが、涼音は手を離さない。時たま手をひっかかれるが、

その時の痛みも何だか心地よかった。




 涼音は猫を自分の顔の前まで持ってくると、そのまま大きく振りかぶって、近くの木に叩き付けた。

二度、三度。ぐちゃ、という音が涼音の耳に届いてくる。


 もう動かなくなった猫がどさりと音を立てて地面の上に落ちた。涼音はそれを再び拾い上げ、左手

で木に押さえつけ、右手で殴り始めた。猫の毛が血で赤く染まり、眼球が破裂したであろうぷちゅっ

という音がかすかに聞こえた。

 それはさながら、丑の刻参りを思わせる光景だった。ただ、不気味さはまだしも、凄惨さではこち

らのほうが上かもしれないが――。


 やがて、殴るのをやめた涼音は猫の残骸に爪を立て、素手でそれを引き千切り始めた。その猫

が原形を失い、ただの血と肉の塊になるのには、それほど時間はかからなかった。






 全てが終わった後、涼音は虚ろな瞳でそれを見つめていた。血と、肉の臭いに引きつけられた

のか、早くもカラスたちが集まってきている。


 涼音は血で真っ赤に染まった自分の両手を見た。こうやって何かを壊していれば、自分の中に

ある破壊衝動は収まる。収まるはずだった、つい昨日までは。


 物や動物ではもう、ダメだった。自分が一番壊してみたいと思っていたものを壊してしまったから。

アレじゃないと、もう、満足できなくなってしまった。自分の中の悪魔が、満たされなくなってしまって

いた。






 人間を、壊したい。






「あと10……いや、9人か」
 
 涼音は血まみれの手を支給された水を使って洗い落とした。彼女は既に三人も殺しているので、

水分には多少の余裕がある。


 何か、気を紛らわす方法はないだろうか。寝るのが一番いいと思うのだが、その苛々のせいで

なかなか寝付けないし、第一、ここで熟睡してしまったら誰かに見つかり、最悪命を落とす事に

なってしまう。


 そう考えると、学校は色々な事で気を紛らわすことが出来た。勉強、友達とのおしゃべり、部活。

離れてみて分かったが、学校と言うところは案外、楽しいところだったのかもしれない。


 部活と言えば、美術部に勧誘された事もあるな、と思い出す。絵を描くこと自体は嫌いではないが

そこまで上手くないから、と言って断ったが、『描くのが楽しければいいんだよ』と 桐嶋潤(男子6番)

が言っていた。






「最初から上手くやろうとすると、自分のやりたい事ができないっていうか……なんかこう、作りたか

ったものができないんだよね」


「そうかな……僕は最初から、良い結果を出そうと思ってやる事が多いよ。勉強とかはそうだし。

あまり得意じゃないけど、体育だってそうかな。潤くんは違うの?」


「うーん、全部が全部そうってわけじゃないんだけど、絵を描くときは特にそうかな。上手くやろうと

するんじゃなくって、したいものをするって感じ」






 したいものをする、か――。

 これが自分のしたい事だったのだろうか。人を殺して、泥と汗と血にまみれて、それでもまだ自分

は生きようとしている。罪を重ねて、罪に手を染めて、これが自分のしたい事だったのだろうか。


 潤が言った通りだった。生きるという最良の結末のために、なりふり構わずプログラムを今日まで

生き抜いてきたが、気分は最悪だ。クラスメイトは減り続けて残り人数もあと僅かになっているだろ

うというのに、何の喜びも湧いてこない。あるのはただ、胸に底に溜まったこのヘドロのような罪悪感

だけだ。


 ふと思った。双子の姉である琴乃宮赤音ならば、こんな時にどうするのだろう。 村崎薫(女子15番)

に似て単純な性格の姉の事だ、はっきりと決断を下しているだろう。問題はそれが、人を殺す事なの

か、そうでない方なのか、だが。


 もしかしたら、誰かのために命を落としているのかもしれない、と思った。性格の似ている赤音と薫

だが、両者に違いがあるとすればそこだ。単純でがさつで乱暴だけれど、いざという場面での赤音は

自分よりも他人を立てようとする節があった。




 そう、昔からそうだった。双子という事で、どちらがどちらか分からないとからかわれた時、涼音が

自分の事を私ではなく、周りから区別がつきやすいように『僕』と言うようになった時、そしてそれも

また、「女のくせに”僕”なんて変だ」とからかわれた時、赤音は「そういう風にすればいいって言った

の、あたしなんだから!」と、涼音を庇ってくれていたのを、今でもよく覚えている。


 だからもし赤音がこの場にいたら、周りの誰かを守るために、もう既に命を落としていたかもしれな

かった。もちろん、薫がそうでないというわけではないのだが――どちらかと言うと、自己犠牲の精神

が強いのは赤音の方だった。


 生きて帰れたとして、その赤音はまた今まで通り自分に接してくれるだろうか。妹ではなく、得体の

知れない化け物を見るような目で、恐怖と不安が入り混じった目で見たりはしないだろうか。






 生きて帰る、か――。

 それはつまり、他のクラスメイトを全て犠牲にしてしまうということだ。前の放送までは生きていた

薫や渡良瀬道流(男子18番)、そして何より潤をも。


 ……胸がざわついた。潤の事を考えるとそれだけで動悸が早くなる。口の中に唾が溜まる。脳裏

に姿を思い出すだけでこれだ。実物を見ると、もう耐えられない。




 ――また、想像してしまった。潤を壊す時のことを。




 頭の中で考える分には平気だろうが、少し気を抜いたら、実際に会ったときにそれを実行に移し

てしまいそうなのが恐ろしかった。


 それを考えると、恐ろしい反面、楽しいのだろうかと想像している自分もいる。

 潤を壊してしまったら自分は後悔するだろうが、恐らく満足もする。その満足がいつまで持続するか

は分からないが、少なくとも今自分が直面している飢餓感のような感情はなくなるだろう。


 そうなったら、楽になるだろうなと思う。潤を殺した罪悪感から、自殺してしまうかもしれないが。

 誰かを、できれば潤を壊してみたい。けれど潤には死んでほしくない。

 思考はずっとループを続けていた。




 色々考えてはみたが、結局壊すか壊さないかの二択しかなかった。他の誰かで間に合わそうかと

も思ったが、妥協できるかどうか不安だった。下手をしたら、壊しても何も感じないかもしれない。

一度潤の事を意識してしまったら、他の誰かではダメなのだろう。




 ――ああ、いっその事、潤も自分の事を殺そうとしてくれていればいいのに。




 そうすれば遠慮なく反撃をして、潤を壊すことが出来る。しかしそれはあり得ない事だった。何故

ならば、潤が自分を殺したくなる理由が見当たらない。潤を怒らせることなど出来る自信はないし、

出来たとしても、それが殺意に繋がるかどうかは別問題だ。




 潤くんの目の前で、薫とかを殺したら、僕を殺そうとしてくれるかな……。




 他人を殺す理由を作るために、他人から殺される理由を作ろうとしている。正気が疑われるような

思考だが、涼音は至極真面目に考えてしまっていた。

 これが潤以外の人間だったら、あっさりと殺してしまう事を選んでいたのだろうか。薫や恭子などは

仲の良い友人ではあるが、もしも今目の前に現れたら、躊躇いはするものの手にかけてしまうかも

しれない。


 それなのに、潤の事になるとこんなにも悩んでしまう。好きだから、なのだろう。彼を失いたくない

から。失ってしまったら、もう自分が自分でいられなくなることが、分かってしまっているから。

 けれど、このプログラムで生き残れるのは一人だけなのだ。自分と潤。どちらも生き残るという結末

が訪れる事は、まずないだろう。


 覚悟を決めなければいけない。涼音は自分の限界がそれなりに分かっていた。肉体的なことは

もとより、精神的にも。潤が誰かに殺されてしまうのならば、自分が彼を殺そう。

 すっかり汚れてしまった眼鏡を制服で拭き、そして彼女は、腹を括る。



【残り9人】 


                     戻る   トップ  進む




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送