俺がそこに通う理由は別にあったはずだ。

 がやがやと耳障りな音が飛び交う教室を抜け出し、俺は毎日のように図書室へ行っている。

 別にクラスメイトが嫌いだというわけじゃなくて、騒がしい場所では読書に集中できないから

図書室に行くだけだ。

 好きな本は静かな場所で読むに限る。しんと静まり返った空間が俺のイメージをかき立て、

まるで本の中に入ったかのような錯覚を覚えることができる。

 集中して本を読みたいから。

 それが図書室に行く理由だ。それ以外に理由はなんてない。

 だけど――。

 

 図書室に入ると同時に、ついついあいつの姿を探している自分がいた。

 そんな自分に気づいて、俺は複雑な気持ちになる。

 あいつとは友達でもなんでもない。もしかしたら、向こうは俺の顔なんて覚えていないかもし

れないだろう。そんな相手に会いたくて俺は毎日のように足を運んでいるんだ。馬鹿馬鹿しく

て笑えてくる。

 

 俺が最初にあいつを見たのは、小学校の卒業式が終わった数日後――何か面白い本が出

ていないかと思い、市内で一番大きな書店へ行ったときのことだった。

 新発売の本を眺めていると、自分と同年齢くらいの女が同じように本を見に来たんだ。

 普通ならどうでもいい出来事だが、俺にとってはどうでもいい出来事ではなかった。

 

 隣に現れたその少女が、信じられないほど綺麗だったから。

 

 俺の通っていた小学校にも可愛い子はいたけど、その子はそんなのとはまるで次元が違う。

小学校を卒業したばかりのくせに大人びていて、とにかく綺麗で、人を寄せ付けない暗く、冷た

い雰囲気を持った少女だった。

 俺はよほどその子のことを凝視していたのだろう。その子は俺のことをじっと見つめていた。

俺は何だか恥ずかしくなって、本を買うのも忘れ慌ててその店から出て行った。

 家に帰ってからも、その子のことが頭から離れなかった。同じ学校に行っていたわけではな

い。何か言葉を交わしたわけでもない。ただ出会ったというだけなのに、俺はその子のことを

忘れることができそうになかった。

 

 どうにかしてもう一度会えないだろうか――。俺は何度も何度もその店に足を運んだ。一時

間近く待っていたこともあった。

 結局俺はその子と再開することなく、中学校に入学することになった。県内でもトップクラスの

進学校、舞原中学だ。入学したあとは勉強に追われ、次第にあの子のことを忘れていくのだろ

うか。

 言葉では言い表せないような寂しさが俺の心を満たした。玲子や浩介が心配そうにしていた

が、俺は何も言えなかった。

 

 入学式から三日後。俺は中学校の図書室に行ってみた。今まで読んだことのないような本が

棚に並んでいて、俺の心は自然と躍っていた。

 選んだ本を持って机に向かおうとした俺の目は、机に座って本を読んでいる一人の女子生

徒の姿を捉えていた。

 

 そのときの俺は、傍から見ればかなりマヌケな顔をしていたことだろう。

 何しろずっと探していたあの少女が、自分の目の前で座っているのだから。

 彼女が同じ中学に入ったということを、俺はこのとき初めて知った。

 神様に対して「ありがとう」と思ったのも、このときが初めてだった。

 

 それから二週間――俺は幾度となく図書館で彼女を見た。

 見るだけで話しかけようとはしなかった。話しかける話題がなかったし、俺にはそこまでの勇

気がなかったから。

 その日は違った。

 

「――――あ」

 彼女の横を通り過ぎたとき、自然と声が出ていた。

「それ、デューフォールだろ?」

 彼女が読んでいた本を指し、俺は特に動揺もせず話しかけていた。この日彼女が読んでい

た本は俺が一番気に入っている本で、さらに俺は自分以外でこの本を読んでいる奴を見かけ

たことがなかったからだ。それで嬉しくなって、つい話しかけてしまったのかもしれない。

「……君もこの本を読むのかい?」

 初めて彼女の声を聞いた。真冬の凍った湖のように静かで、冷たくて、しかしよく通る声だっ

た。彼女のイメージにピッタリだった。

「ああ。読むっつーか全巻持っているぜ。玲子とか浩介は読んでないんだけどさ、俺はこの本

すげー好きだな」

「私もこの本は好きだよ。一巻の発売日に偶然書店で見かけて以来、ずっと新刊の発売日を

楽しみにしている」

 

 彼女と普通に会話をしていることに一番驚いているのは俺だった。

 だけどそれ以上に驚いたのは、彼女の口から「君とは三月の終わりに一度会っているね」と

いう言葉が出たときだった。

 彼女は俺のことを覚えていてくれたのだ。俺はそれが、何だか無性に嬉しかった。

 

「――よかったら、今度俺のツレと一緒に話でもしねえか? 俺と似たような趣味の連中だか

ら、きっと話が合うと思うぜ」

 彼女はしばらく黙ったあとで頷いた。彼女は終始無表情だったけど、そのときだけは何だか

嬉しそうな顔をしていた気がする。

 

 それから俺はあいつ――黒崎刹那の笑顔と言っていいのか分からない微妙な笑顔を何度

か見かけることになるが、このとき以上に嬉しそうな顔は見ることができなかった。

 これは俺の勝手な想像だが、刹那も俺のことを気にかけていたのかもしれない。

 本当に勝手な――ありえもしない想像だけど。

 

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