それは偶然が生んだ再会だった。

 二度と会えないとは思っていなかったが、お互いにもう会うこともないだろうと思っていた。

 

 一人は罪の意識から相手に会うことを避け、そのまま疎遠になりお互いの関係を無かった

ものにしようとしていた。自分は彼女に会うべきではない。いや、それよりも会う価値すらない

だろう。自分は彼女のとても大切な、血を分けたもう一人の彼女を犠牲にして生きているの

だから。

 

 もう一人は、できることなら相手に会いたいと思っていた。何も聞かないうちに、一方的に

自分の前からいなくなってしまった彼女に会って話を聞きたかった。あれから何度も行方を

捜してみたが、地元を出て行ったっきり行方の知れない彼女の足取りを掴むことはできなか

った。自分が再会したい人物が果たして生きているのかどうかすら分からなかった。だから

自分は、彼女を探すことを――再会を果たすことを諦めてしまっていた。

 

 しかし、運命は二人の進む道を交わらせてしまった。

 愛と破壊の物語が、かつての役者たちを再び舞台に上がらせる。

 

 

 

 終わってしまった舞台の上で、望まぬ再会を果たした彼女たちは何を思うのか。

 

 

 

 村崎薫は携帯電話を取り出し、画面に映る時間を確認した。空には様々な形をした雲が

まばらに浮かんでおり、梅雨の時期にしては珍しい晴れ模様を浮かべている。暑くも寒くも

なく、外出をするにはぴったりのとても心地のいい天気だった。

 

 携帯電話に表示されている時間は、午後一時三十五分だった。

「あと二十五分か……」

 彼との待ち合わせの時間は午後二時だ。彼は待ち合わせの時間にルーズっぽく見えるか

ら、もう少し遅く来てもよかったかもしれない。

 

 携帯電話をしまった村崎は、突然生じた気配を察知し背後へと視線を転じた。待ち合わせ

の相手である少年、浅川悠介が来たのだろうと思っていた村崎は、その先に佇んでいる人物

を見て全身が凍りついた。

 

「あ…………」

 彼女はいつから、そこにいたのだろうか。気配を感じたのはつい先程だが、ひょっとしたら

それよりもずっと前にいたのかもしれない。その証拠に、相手は村崎の顔を見たとき全然表

情を変えなかった。

 それとは正反対に、村崎は呆然と顔を強張らせている。驚き、焦り、動揺、恐怖。様々な感

情が入り乱れており、パニック状態になっているのが一目で見て取れる。

 

「赤音……」

 何とか紡ぎ出された声は、二人の間を駆け抜けた風がかき消し、持ち去っていった。人気

の感じられない霊園、爽やかな風が草や梢を揺らす音だけがひっそりと聞こえてくる。

 赤音と呼ばれた女性は、ゆったりとした足取りで村崎のもとに近付いて来た。真っ赤なセミ

ロングの髪に赤いライダースーツという奇抜な格好だが、モデルも顔負けのプロポーションを

持つ彼女が着ているとあまり違和感が感じられない。まるでそれが当然のように、悠然とした

態度で彼女はそこに存在している。

 

 赤音は村崎の前に立つと、咥えていた煙草を指で挟み煙を吐き出した。白い煙が空気中

に広がり、ゆらゆらと天へ昇っていく。

「十年ぶり……だよな」

「……ええ」

「まさかここで会えるとは思わなかった。誰かの墓参りか?」

 村崎は小さく首を横に振る。

「今日はちょっとした用事でここに来たの。あなたの方こそ誰かのお墓参り?」

「いいや。ここに入って行くお前を見つけたからつけてきた」

「……あまり趣味がいいとは言えないわね」

「ハッ、よく言うぜ」

 赤音は皮肉げな表情を浮かべる。それは怒っているようにも見えるし、笑っているようにも

見えた。ただ笑っているのであればそれは天使の笑顔などではない、ハンターが獲物を見つ

けたときに浮かべる獰猛な笑みだった。

 

 赤音は短くなった煙草を携帯灰皿で揉み消し、村崎との距離を縮める。そして村崎の顔を

真正面から見据えた。

 鋭利な赤音の視線と、どこか憂いを孕んだ村崎の視線が激突する。霊園の静けさにそぐ

わぬ、そこだけ火花が散っているかのような激しさだった。ただ村崎のほうは乗り気ではない

ようだが、赤音から視線を逸らそうとはしない。

 二人の視線に宿るものは喜びなのか、それとも憎しみなのか。十年ぶりに再会した友人に

向けるとは到底考えられない眼光だった。

 

 先に目を逸らしたのは、やはり村崎の方だった。痛みを堪えるような悲痛な表情を浮かべ、

プログラム担当官とは思えない弱々しい声を出す。

「ところで、私に何の用? まさか再会の挨拶だけで済まそうってわけじゃないんでしょ?」

「察しが良くて助かるね。じゃあ早速本題に入らせてもらおうか」

 赤音はずいっ、と村崎に詰め寄り、

「お前はあの時、あたしに何も言わないで勝手に街を出て行っただろ。それから何の連絡も

しないで十年間も音信不通にしやがって……」

 そのまま、村崎が着ているスーツの襟元を掴み上げる。

 

「何であたしに一言も言わなかった! あたしがどれだけ頭にきたと思ってんだよ! 勝手に

帰ってきたと思ったら勝手にどっか行きやがって、それであたしに迷惑をかけないようにした

つもりか? お前のそういう考え方、はっきり言ってムカつくんだよ!」

 村崎は襟元を掴まれたまま、赤音の勢いに気圧されたように視線を下に向ける。

「あたしが怒るとでも思ってたのか? あぁ? 涼音やみっちゃんたちを犠牲にして帰ってき

たお前を『この人殺し!』とでも言って罵ると思ってたのかよ。お前はそう思ってたかもしれね

えけどな、あたしは涼音たちが死んだ原因がお前にあるなんて、全っ然これっぽっちも思っ

ちゃいねえんだよ!」

 

 赤音は完全に激怒していた。十年前のあの時生まれた怒りが、今日までずっと消せずに

心の奥に溜め込んでいた感情が解き放たれていた。

 もう吐き出すことがないだろうと思っていた感情だからこそ、一度解放されてしまった怒りの

奔流を止めることはできない。赤音が村崎に対してぶつけている怒りは、涼音という人物を

犠牲にして彼女が生きていることよりも、親しくしていた自分に何も告げず、一方的にいなく

なってしまったことに対する怒りだった。

 

「何であたしに黙ってたんだ! 答えろ、薫っ!」

 ずっと納得がいかなかった。何で村崎があんなことをしたのか。何で自分に会おうとせず、

何の相談もしてくれなかったのか。十年前、自分たちは親友と呼べる関係だったはずだ。

喜びも苦しみも分かち合い、仲良くやっていたはずなのに。

「……会えるわけ、ないじゃない」

 囁くように言った村崎の瞳に、苦しみのようなものがわずかに映し出された。枯れ果てよう

としているのに決して消えることはない、哀しみの残滓のようでもあった。

 

「あんたはそう思っていたのかもしれないけど、私はそうじゃないのよ。みんなを犠牲にして

私だけが帰ってきて、本当にこれでいいのかって何度も何度も思って……知っている人に会

うのが怖かった。みんなが私を昨日とは違う目で見ているような気がして、外に出ることがで

きなかった……」

「だったら一人で悩んでいないで誰かに相談したらいいだろうが! プログラムに選ばれちま

ったのはお前の責任じゃないだろ、一人で全部背負いこんでんじゃねえよ!」

「あんたには私の気持ちは分からないわ!」

 村崎は襟を掴んでいる赤音の手を払いのけ、赤音を睨み返した。

「プログラムに選ばれなかったあんたが私の気持ちを分かるはずがないじゃない! 私がど

れだけ苦しんだか……どんな思いをしたのかあんたには分かるっていうの? みんながみん

なあんたみたいな考え方を持っているわけじゃないのよ、自分の価値観を私に押し付けない

で!」

 

 琴乃宮赤音という人物の強さを村崎はよく理解していた。

 どんな敵が現れようと突破し、どんな困難な出来事が起ころうと弱音を吐かず、全力でそれ

を乗り越えようとする。単純なケンカの実力もさることながら、挫けることのない強靭な精神力

こそが赤音の強さだ。

 心強いとか頼り甲斐があると思ったことは数え切れない。しかし村崎はそれと同じくらい、赤

音の持つ強さを羨ましく思っていた。

 

 だからプログラムに選ばれていないのに、好き勝手なことを言ってくる赤音に不満を覚える

のは当然のことだった。人間全てが赤音のようにはっきりと決断できるわけではない。悩み、

苦しみ、それでもなお結論を出せない人間だってたくさんいる。友人の自分に何の挨拶も無

しに立ち去っていったことに怒りを露にする赤音の気持ちも理解できるが、それでも彼女の

怒りは一方的過ぎる気がするという気持ちが大きい。

 

 しばらく黙っていた赤音は静かに息を吐いた。

「……そっか。そう思ってたんだな」

 赤音はどこか寂しげな表情で周囲の景色を見渡した。瑞々しく生えている草の上に並ぶ墓

石、その上に広がる青く染まる大空。心が晴れるような景色の中で、二人の心は暗く沈んで

いた。今にも雨が降ってきそうな、灰色の雲に覆われた空のように。

 

「でもさ、それでもあたしはお前から何か言ってほしかったよ。”さよなら”じゃなくても、しばら

く会えなくなるってくらい言ってほしかった」

 村崎がそうであったように、赤音もまた辛い気持ちを抱きながら生きてきた。実の妹をプロ

グラムで失い、たった一人生き残った親友は突然自分の前からいなくなった。赤音の中に残

されたものは、消化されることのない寂しさと不満だけだ。

 

「お前はさっき自分がどんな思いしたのか分かるか? って言ったよな。お前のほうこそ、あ

れからあたしがどんな思いしたのか分かるのか?」

「あ…………」

 村崎はなんて言ったらいいのか分からずに、口を一文字に引き結ぶ。辛い思いをしたのは

自分だけではない。赤音もまた、自分と同じような悲しみを経験したはずだ。よく考えれば分

かりそうなことなのに、村崎は過去の苦しみから逃れるため赤音の気持ちを理解しようとし

なかった。

 

 ――結局私は、自分のことしか考えていなかったのかもしれない。

 

 落ち込むを通り越して笑えてくる。身体ばかり大きくなって、肝心の中身は十年前と大して

変わっていない。自分なりに成長してきたつもりではいたが、まだ子供の域を抜け出しては

いないのだろうか。

「ごめん、なさい……」

 つい謝ってしまう。こう言う以外にどうすればいいのか分からなかったし、今はとにかく赤音

に謝りたいという気持ちが強かった。

「反省してっか?」

「悪いと思っているわよ……。でも、私には私でいろいろと事情があったの。それだけは分か

ってほしい」

「ああ、分かってるさ」

 不敵な笑みを浮かべ、ち、ち、ち、とわざとらしく指を振る。

 

「お前がどれだけキツイ思いをしたのかはちゃんと分かってる。だからあたしはこれ以上何も

言うつもりはない。つーか言いたいこと全部言っちまったしな」

 今の赤音からは先程の怒りが微塵も見られない。言いたいことを言い、吐き出すべき感情

を全て吐き出した彼女にとって村崎を嫌う理由はもはや何もない。

 

「相変わらず割り切りのいい性格しているわね。羨ましいわ」

 それを見た村崎が呆れたように嘆息する。十年前は自分も赤音と似たような性格をしてい

たが、歳を重ねるにつれていろいろなことを学び、かつての無邪気さはほとんどなくなってし

まった。それに比べ、赤音は十年前と全然変わっていない。いささか落ち着きを得てはいる

が、自分の知っている少女の頃のままの赤音がここにいる。村崎はそのことになぜか嬉しさ

を感じていた。

 

「ところでよ、お前って今何やってんだ? その格好からすると会社員か何かか?」

「ううん。今は政府のほうでプログラムの担当官をしているの。この前始めての仕事が終わっ

たばかりよ」

 プログラムの担当官という言葉を聞き、赤音が信じられないという顔を浮かべる。

「プログラムの担当官って……お前それマジか? 何だってそんなことやってんだよ。だいた

いお前、政府側の仕事やっていて耐えられんのか? お前をあんな目に遭わせた元凶だっ

てのに」

 事情を知らない赤音からしてみれば、かつてプログラムに選ばれた村崎がそのプログラム

を運営する側についているということが理解できないだろう。

 

「だからよ。あんな目に遭ったからこそ、昔の私と同じような境遇にいる子供たちを助けられ

るんじゃないかって思ったの」

 痛みを知っているからこそ、同じ痛みを味わっている子供たちを救うことができるはず。村

崎はそう信じ、あえてこの仕事を選んだ。平気なのかと聞かれたら返事をするのに少し窮し

てしまうが、それでも「平気」と答えることができる。

 

「言っておくけど、私はまだ政府を許したわけじゃないわ。私がこんな仕事をやっているのは、

この国を少しでも良い状況に変えていこうと思っているから。そこは誤解しないでちょうだい」

「そんな心配すんなよ。お前が考えて結論を出したんだろ? だったらあたしがそれをどうこ

う言うつもりはねえよ」

 正直なところ村崎が政府の関係者になっているのを快くは思っていないが、彼女には彼女

なりの考え、信念があるのだろう。ならば自分はそれを否定できない。問題は村崎ではなく、

こんな事態を招いたプログラムという制度そのものなのだ。

 

「赤音のほうこそ何をしているの?」

「あたしか? あたしはちょっとした喫茶店の美人マスターをやってるよ。こっちもこっちでいろ

いろと苦労したけど、まあ楽しくやってるさ」

「喫茶店マスターって……あんたちゃんとコーヒーとか入れられるの?」

「おいおい、あんまし馬鹿にしてんじゃねーよ。これでもちゃんと勉強したんだからよ」

 ニヤニヤと、悪戯っ子のような笑い方をする赤音。昔の彼女を知る人間に言わせてもらえ

ば、あの琴乃宮赤音が店を経営しているということ事態が驚きなのだ。村崎は完全に疑って

はいないようだが、さすがに半信半疑であるようだった。

 

 

 

 それから二人はいろいろなことを話し合った。この十年でお互いの間に起きたことからTV

番組の話題まで、他愛もないことを笑いながら話し合った。そこに再会したばかりの険悪さ

はなく、二人の間にある確執が生んだ溝は完全に塞がっていた。

 

 十年という歳月は様々なものを変化させたが、二人の根底にあるものは今も変わらずに残

っている。

 

 共に過ごした中学時代の思い出。大切な時間の中で育まれた友情。それらは枯れ果てる

ことなく、二人の間で今も生き続けていた。

 

 

 

 

 

 ――それから数分後、また会う約束をして村崎のもとを立ち去った赤音は、霊園の出口に

向う途中で見知った人物を発見した。彼がこんな場所にいるなんて珍しいなとは思ったが、

誰かの墓参りなんだろうと考え、その疑問をすぐに頭から打ち払った。

 近付いて行くにつれ、向こうもこちらに気づいていることが見て取れた。赤音は「よっ」と言

って気軽な挨拶を向ける。

 

「悠ちん、誰かの墓参り?」

 赤音の視線の先にいる少年は、いつもと変わらない無愛想な顔のまま口を開いた。

 




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